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2005年12月22日

Ethiopia:君は海の誕生を見たか?

BBCNEWSWebsiteの該当記事

ちょっと古いニュースになりますが、今回は科学ネタでも。
エチオピアの砂漠で、科学者が”海の誕生”を目撃しているそうです。

未来の海洋底の誕生と考えられる現象が進行している様子を、エチオピア北東部で観測した、と科学者達が発表した。
Scientists say they have witnessed the possible birth of a future ocean basin growing in north-eastern Ethiopia.
科学者チームは、今年9月、Afar 砂漠の大地に幅8mもの亀裂が、僅か3週間で、発達した現象を観測した。
The team watched an 8m rift develop in the ground in just three weeks in the Afar desert region last September.

 Afar砂漠というのは、隣国エリトリアとの国境近くにある、エチオピア北東部のダナキル砂漠のことと思われます。
 この砂漠には、ダナキル低地と呼ばれる、標高が海抜以下の溝状低地が存在します。
 海水が侵入し乾燥するという過程が、ダナキル低地では過去に何度も繰り返されており、その結果、深さ1kmにも達する塩の層が形成されているそうです。
 この地に住むアファール人と呼ばれる遊牧民が、この塩を採掘し、収入を得ているそうです。
この現象は、この国の東部がアフリカ大陸と分離し、最終的には広大な海洋を形成するという、長期にわたる地球史イベントの小さな一歩だ。
It is one small step in a long-term split that is tearing the east of the country from the rest of Africa and should eventually create a huge sea.
イギリス-エチオピア合同チームは、60kmにも及ぶ亀裂系が形成されたスピードの速さに驚嘆した、と言う。
The UK-Ethiopian group says it was astonished at the speed with which the 60km-long fissure system developed.


 僅か3週間で、最大開口幅が8mにも達する亀裂が、長さ60kmにわたり大陸の凹地に形成されたこのイベント、確かに、「驚嘆するべきスピード」と言えるでしょう。
 しかし、地質学上のイベントというのは、案外、突発的に大きな変化が発生するものが多いのかもしれません。
 じわじわと力がたまり、ある日、突然ガツンとくる地震のように。
 もちろん、非常に小さな変化が長年積み重なる事により、変化していくこともあると思いますが。
 現在の地球は静かなで平穏なようですが、実は非常にダイナミックに変化している過程の最中に、あるのかもしれませんね。

「このような大規模なイベントを地溝帯で観測するのは、我々が現在使っている宇宙からの観測技術が出現して以来、今回が初めてでしょう。衛星技術は、高解像度の画像と詳細なデータを我々に提供してくれ、実際に何が起きており、どのように大地が動くのかを知る資料を与えてくれます。これは驚くべき事です(ここの訳、自信なし)」、Royal Holloway University of LondonのCindy Ebingerは言う。
"It's the first large event we've seen like this in a rift zone since the advent of some of the space-based techniques we're now using, and which give us a resolution and a detail to see what's really going on and how the earth processes work; it's amazing," said Cindy Ebinger, from Royal Holloway University of London.
Ebinger 教授と共同研究者は、エチオピアでの現象を、米国地球物理学連合(American Geophysical Union )の秋季大会で発表した。
Professor Ebinger and colleagues described the event here at the American Geophysical Union Fall Meeting.


 衛星を利用したリモートセンシングにより、この地溝帯のイベントを観察したようですね。 前の職場で航空写真判読技術を磨いたのですが、”リモセン”にはあまり縁のなかった私、”衛星”と聞くと、「凄いんだ」と思ってしまいます(一応、一通りの事は知ってますが…)。

遥か遠い昔、超大陸が引き裂かれて、大西洋などの海洋が形成された。
In the far-distant past, oceans such as the Atlantic have formed when supercontinents have torn apart.
今でも、北アメリカとヨーロッパは、爪が伸びるほどの速さで、反対方向に離れつつある。
Indeed, North America and Europe are still moving in opposite directions at about the pace fingernails grow.


 ”爪が伸びるほどの速さ”は比喩的な表現かも知れませんが、乱暴に計算してみたところ、海洋底の拡大速度に、意外と近いのかも知れません。
 爪が伸びる方が早いような気がしますが…。

エチオピア北東部にある苛酷な環境の低地、Afar 地域は、最近の地質時代に、同様な力で引き裂かれた、と科学者達は長い間、考えてきた。
Researchers have long recognised that the Afar region, an inhospitable depression in north-eastern Ethiopia, has been contorted by similar forces in recent geological time.
9月に発生した現象は、科学史上前例のないものだそうだ。
But the event in September is said to be unprecedented in scientific history.
9月14日に発生した大規模な地震がこの現象の始まりであり、群発地震の小さなゆれが続いた。
It began with a large earthquake on the 14th of the month and continued with a swarm of moderate tremors.


 1週間ほど余震が続いた後、火山(多分、エルタレ火山)が噴火し、大量の火山灰を吹き上げ、地面には多くのクラックが現れたそうです。幅の広いものは1m以上だったそうです。
 1ヵ月後、長さ60kmもの亀裂が走り、その幅は最大で8mに達したそうです。
 ただし、このような現象が海の誕生を実現するのは、数百万年後のお話だそうです。
 afar地方に住むアファール人は、エチオピア、エリトリア、ジブチの3カ国にまたがって住む遊牧民族だそうです。
 エリトリア独立時に失ったアファール人の土地を取り戻すため、「アファール革命民主統一戦線(通称:ウググモ」と呼ばれる反政府勢力が、かの地では勢力を持っているそうです。

 海の誕生を間近で観察する、絶好の機会を科学者達は手に入れたのですが、治安はあまり良くないみたいです。
 科学者の皆様、気をつけてくださいませ。
 なんでも、お金をたかるだけで、用心棒代金を支払っておけば、悪いことはしないみたいですよ。

 BBC放送の記事以外のうんちくは、ナショナルジオグラフィック日本版10月号(↓)を参考としました。




2005年12月4日

UAE:Dubai の砂漠に雪が…

BBCNEWSWebsiteの該当記事

ドバイの砂漠に雪が降ったわけではありません。
BBC放送HPより、ドバイにオープンした世界最大級のインドアスキー場のニュースを紹介しましょう。

世界最大級のインドアスキー場が、アラブ首長国連邦のドバイ首長国にオープンした。
The largest indoor snow park in the world has opened in the Gulf Emirate of Dubai.

もとは砂漠の砂であったところに建設された斜面は年間を通して人工雪に覆われるだろう。
Built on what was previously desert sand, the slopes will be covered with manufactured snow all year round.
ここには他のスキーリゾートと同じように、初心者、中級、上級コースと夜間コースがあり、スノーパトロールもいる。
The centre has green, blue, red and black runs, chairlifts and snow patrols, like any other ski resort.

 私はスキーをしないので、スキー場の英語表記には疎いです。
 "green, blue, red and black runs"を"初心者、中級、上級コースと夜間コース"と訳しました。

雪に覆われる範囲はサッカー場3個分、25階建てのビルに匹敵する巨大な斜めに傾いた金属製チューブに数コースのゲレンデが収容されている。
The area under snow is the equivalent of three football pitches, with runs built inside a giant, slanting metal tube around 25 floors high.


 この屋内スキー場の写真もBBCNewsWebsiteに掲載されています。
In pictures: Dubai snowdome
 写真のキャプションでは、世界で3番目に大きい屋内スキー場だそうです。

屋内スキー場の隣は、トボガン(小型そり)、ボブスレーのコースとスキー学校がある。
A snow park next door has tobogganing, icy bobsleigh runs and a ski school.

 映画「Cool Running」のジャマイカのように、UAEからもボブスレーの選手が出るかも?
メインゲレンデでスキーを楽しみたい人は、スキー技量の証明をした上で、滑走許可を得る事になるだろう。ウェアとスキー器材のレンタル代金は35ドルの入場料に含まれ、雪を見物するときでも伝統的なkandouras を着用したいというアラブ人のために、膝までを覆う黒いパッド入りコートも用意されている。しかし、kandouras を着たままのスキーは禁止されるだろう。
Anyone wanting to ski on the main slopes will have to prove their competence before being allowed to do so. All clothing and equipment is provided in the entrance price of $35, including black, knee-length padded coats for any Arabs who prefer to wear their traditional kandouras to visit the snow - but skiing in the robes will be banned.

 ドバイは国際ハブ空港を持ち、観光に力を入れているようです。

これまで、ドバイは暖かい海辺で休暇を過したいリゾート客の目的地であった。
Until now Dubai has been a destination for warm beach holidays.

 紅海でのスキューバダイビングも有名です。
 その上、観光客向けのショッピングモールも有るようです。

スキーゲレンデは気温40℃を越えるドバイのきびしい夏の、一番の人気スポットになりそうである、特に住民には人気が出そうである。
But the ski slope is likely to be most popular, especially for residents, during Dubai's harsh summer when temperatures reach well above 40C.


 屋内スキー場のオープンで、ドバイは、海で泳いで、スキーをして、買い物もできるという、忙しい観光客には魅力的な観光地になるかもしれませんね。
(ハワイでも海で泳いでスキーができるそうです。こちらは山の上までヘリコプターで上がるそうです)

2005年10月19日

天安門事件:戦車に対峙する買い物袋を持った人

・BBCNEWSWebsiteの該当記事
天安門事件の際、中国人民解放軍の戦車にたった一人で対峙する、買い物袋を持った人の写真を、ニュースなどでご覧になった方も多いと思います。

 The World Press Photo 財団は、報道写真のコンテストを初めて今年で50年周年となるそうですが、それに関連して、あの写真を撮影したCharlie Cole氏の述懐がBBC放送HPに掲載されていました。Charlie Cole 氏の当時の体験を、BBC放送HPから抜粋して、紹介しましょう。

 Cole 氏はNewsweek誌の契約写真家として北京へ赴いたそうです。
 彼が到着した時には、民主化を求めるデモは頭打ちとなり、アジアの拠点に帰る報道陣も多かったそうです。
 しかし、Cole 氏はNewsweek誌に、もう少しとどまるようにと言われ、天安門事件と遭遇することになったそうです。

私はNewsweek誌に留まるように言われた。6月3日の夕方、人民解放軍(PLA)とデモ参加者の緊張した対立の一日が過ぎた後、軍は市の中心部を包囲し、戦車と装甲兵員輸送車(APC)を天安門広場の中心へ動かそうという試みを、遂に開始した。
I was told by Newsweek to stay on. On the evening of 3 June, after a day of tense confrontations between the People's Liberation Army (PLA) and the demonstrators, the army began to encircle the inner city and eventually began to try to move tanks and Armoured Personnel Carriers (APCs) down into the heart of Tiananmen Square.
紫禁城の真正面にあたる広場の最上部で、一台のAPCが隊列を離れてしまい、群集のエリアから逃れようとパニックに陥り、数人のデモ参加者を轢き殺した。この事件が今度は、群集が暴力を加速する結果を招いた。
At the top of the square just in front of the Forbidden City, an APC got separated from its column, and in its panic to get out of the crowd area, ran over several demonstrators. This, in turn, caused the crowd to grow violent.
群集はAPCを無力化し、APCの乗員を車外に引き出し、殺害し、兵員輸送車に火を放った。この光景は、150m離れた広場の端に展開していた人民解放軍数個小隊の目の前で展開された。燃えるAPCの傍らに立っていた私は広場を見下ろし、広場の照明が照らすオレンジの光の中で、AK-47を装填し構える人民解放軍の兵士を認めた。
They disabled the APC, tore its crew from the vehicle, killed them, and torched the vehicle. All this was done in plain view of several PLA platoons about 150 metres away at the edge of the square. Standing beside the burning APC, I looked down the avenue and in the orange glow of the lights of the square I could see the PLA lock and load their AK-47s.

 Cole 氏は虐殺が始まる直前の天安門広場にいたのですね。
 AK-47突撃銃を装填する兵士を見て血の気が引いたのではないでしょうか。

私は遮蔽物を探し、周囲を見回したが、そこには何もなかった-保護を求めることができる場所は北京ホテル(Beijing Hotel)近くの、Changan 通りまで後退していた。私が通りの街路樹に辿り着いたのと前後して、兵士達は広場の上部にいる群集に向かって発砲を開始した。撃たれた人々が増えるにつれパニックが広がっていった。
I looked around for cover but there was none - the only areas that offered any protection were back up Changan Avenue near the Beijing Hotel. About the time I reached some trees along the avenue the soldiers opened up on the crowd at the top of the square. There was panic as people were being hit.
周囲はすでに暗く、ストロボを使うなんて問題外の状況であったため、私は写真をとることができなかった。私は周囲を見回し、残された最後の一枚はビルの屋上から長時間露光で広場と騒乱を写そうと決めた。
It was impossible for me to shoot pictures as it was too dark and using a flash was out of the question. I looked around and decided that about the only shot left was from the roof of a building with a long exposure of the square and the mayhem.
私は広場を見渡せる北京飯店に向かった、しかしホテルに入った時、私は公安省(PSB)、中国の秘密警察のメンバーに取り押さえられた。
I went into the Beijing Hotel, which had a commanding view of the top of the square, but when I went in, I was tackled by members of the Public Security Bureau (PSB), China's secret police.
PSBの1人は、電気式の牛追い棒(electric cattle prod)を手に私に走りより、私の横腹を棒で殴った。別の数人は私を殴り、蹴った。彼らは私のフォトベストを剥ぎ取り、その日の夕方、私が撮影した全てのフィルムを没収した。彼らはカメラをも持ち去ろうとしたが、私はフィルムがなければカメラは使い物にならないと彼らを説得し、カメラを返して貰い、私は自分の部屋に戻るところだと告げた。
One of the PSB ran up to me with a electric cattle prod and hit me in the side with it. Others punched and kicked at me. They ripped my photo vest off me and took all the film I had shot that evening. They were going to keep the cameras but I convinced them they were useless without film, so they returned them and I told them I was going to my room.
PSBはフォトベストの内ポケットに入っていた未露光のフィルム3本には気づかなかった。
The PSB had missed three rolls of unexposed film in an inside pocket of the photo vest.
ロビーを走り抜けていたとき、私は友人のStuart Franklinにばったり、出くわした。彼は最強の写真家で、タイム誌の仕事で北京に来ていた。Stuart の部屋はホテルの8階かそこらで、部屋のバルコニーからは、天安門広場で起きている事態が手に取るように判った。
While hurrying through the lobby, I ran into my friend Stuart Franklin, a Magnum photographer on assignment for Time magazine. Stuart had a room at the hotel on about the eighth floor, and from the balcony we had a pretty good look at what was happening.
この頃には、相当な数の自動火器が発砲されており、負傷者や死者を荷車に載せた人々が、負傷者を病院に運ぶため、通りを大急ぎで走っていくのを私は目撃した。
By this time there was a fair amount of automatic weapons fire and I could see people with carts carrying wounded and dead running down the avenue trying to get the wounded to the hospital.
私は僅かな時間で、死者、負傷者を64人まで数えたが、止めてしまった。Stuart と私は、街頭の明かりを利用し写真をとろうとしたが、撮影するには暗すぎた。
I counted 64 wounded or killed in a short span of time then stopped counting. Stuart and I tried to shoot with the available street light, but it yielded very little.

 翌日、戦車と対決する人をCole 氏は目撃し、カメラに収めます。

翌朝の4時か5時ごろ、戦車の隊列が広場になだれ込み、バスや自転車、そして人間をキャタピラで踏み潰した。日が昇るにつれ、何千もの人民解放軍兵士に護衛された大量の戦車、装甲車が広場を埋め尽くしている情景を、私たちは見ることができた。
At about four or five in the morning, tank columns raced into the square smashing buses, bicycles and humans under their treads. As the sun began to rise, we could see the mass of armour in the square, escorted by thousands of PLA troops.
翌日-6月5日-も、Stuart と私は再びバルコニーに居た。
The following day - 5 June - Stuart and I found ourselves on the balcony again.
時間が経つにつれ、何百人と言う兵士達が広場の入り口に並び、バリケードの背後にうずくまっていった。彼らの小銃は、通りを100m隔てた好奇心の強い学生や住民達に向けられていた。
As the morning progressed, hundreds of soldiers now lined the entrances to the square and hunkered down behind barricades. Their rifles were trained down at curious students and residents 100 metres down the street.
私たちのホテルを含めて、殆ど全ての建物の屋根に、双眼鏡と無線機をもったPSBのエージェントが陣取り、そのエリアの事態を掌握しようとしているのを、私たちは目撃した。昼頃、私たちはAPCがエンジンを掛け、広場を去る音を聞いた。Changan通りを一掃するため、数人の機関銃手が群集に向け発砲し、人々は再び、恐怖の中で逃げ出した。
On nearly every rooftop, including our own, we could see PSB agents with binoculars and radios trying to get control of the area. About noon, we heard the APCs start up and begin to leave the square. In order to clear Changan Avenue some of the machine-gunners opened up on the crowd, people fled again in panic.
その直前、何百人もの人々が居た通りには、見捨てられた自転車と燃え尽きたバスのみが残った。
Where there had been hundreds of people just moments before, were only deserted bicycles and burned-out buses.
その後間もなく、25台の戦車の隊列が、同じ車線を進み始めた。Stuart と私は協力して戦車が通りを下る様子を撮影した。その時、突然、道路の脇から、片手に上着を持ち、もう片方の手に買い物袋を下げた若い男性が、戦車の行く手に踏み込み戦車を止めようとするのを、私たちは目撃した。
Shortly afterwards, a column of about 25 tanks began to roll down the same lane. Stuart and I were shooting shoulder to shoulder as they made their way down the avenue. Then suddenly from the roadside, we saw a young man, with a jacket in one hand and a shopping bag in the other, step into the path of the tanks in an attempt to halt them.
これは信じがたい行為だった、特に、つい先ほど、APCの機関銃が群集に向けて発砲されたあとでは。私はすぐには彼の行為を現実として受け入れられなかった。彼を確実に待ち受けるであろう悲運を予期しながら、私は写真を撮り続けた。
It was an incredible thing to do, especially in light of what had just happened with the APC machine-gunners. I couldn't really believe it, I kept shooting in anticipation of what I felt was his certain doom.
驚いたことに、先頭の戦車は止まった、そして彼を迂回しようとしたが、若い男は再び戦車の行く手に立ちはだかった。とうとうPSBのエージェントが彼を引っ掴み、彼を連れて走り去った。Stuart と私は、今さっき目撃し、写真に撮った出来事をまだ信じられないようで、お互いを見た。
To my amazement, the lead tank stopped, then tried to move around him but the young man cut it off again. Finally the PSB grabbed him and ran away with him. Stuart and I looked at each other in somewhat disbelief at what we had just seen and photographed.


 この状況で戦車が止まったのは、驚くべきことだと思います。
 戦車のドライバー、あるいは指揮官は、狂気の中にあっても、市民を殺すことをためらったのでしょう。
 或いは、外国人ジャーナリストが宿泊するホテルの近くであることを知らされていたのでしょうか。

その後、Stuartは北京大学へ向かい部屋を後にし、私は、なにかまだ起こるのではないかと部屋に残ることにした。彼が出かけたすぐ後に、PSBエージェントが我々の部屋のドアを破った。4人のエージェントが部屋を襲い、数人が私のカメラを強奪する間、私は暴行を受けた。
Later, Stuart left to go to Beijing University and I stayed behind to see what else might happen. Shortly after he left, PSB agents crashed through our hotel room door. Four agents swept in and assaulted me while a few others grabbed my cameras.
彼らは私のカメラからフィルムを抜き取り、私のパスポートを没収した。そして彼らは、「私は戒厳令下で写真を撮影しました」、と供述を書くことを強要した。私には知らされなかったが、それは重罪であった。彼らは部屋のドアに警備を付けた。
They ripped the film from my cameras and confiscated my passport. They then forced me to write a statement that I was photographing during martial law, which unbeknown to me carried a hefty prison sentence. They then put a guard at the door.
私は戦車を撮影したフィルムをプラスチックケースに入れ、トイレの貯蔵タンクに隠しておいた。彼らが立ち去った後、私はそのフィルムを回収した。その後AP通信へ向かい、ニューヨークのNewsweek 宛てに写真を電送した。
I had hidden the roll with the tank pictures in its plastic film can in the holding tank of the toilet. When they left, I retrieved it and later made my way to AP to develop and transmit it to Newsweek in New York.


 「戦車と対峙する人」の写真が、天安門広場の虐殺後の事件だったとは、この記事を読むまで知りませんでした。
 また、天安門広場だけでなく、Changan Avenue でも市民に対する銃撃が発生していたことも同様です。
 写真の人物はWang Wei Linという人物だという意見が多いそうですが、確かなことは判っていないそうです。
 Charlie Cole 氏は、個人的な考えとして、彼は当局に処刑されただろうと述べています。

 事件の1~2年後に、若者向けマンガ週刊誌に、”天安門広場の虐殺はなかった”と訴える、読みきりマンガが2週にわたり掲載されたことがあります。
 そのマンガは物理的な説明を交えながら、兵士が発砲した銃火は、電灯か何か別のもの(忘れてしまった)が写ったもの、という説明をしていました。
 当時の私はそのマンガをあやうく信じそうになりましたが、、歴史を歪曲しようという勢力が存在し、そのマンガを出版社に掲載させたのではないか?と思えます。出版社側も目新しい内容だったから掲載したのでしょう。
 上記の例に限らず、歴史を捻じ曲げようとする権力や勢力は多く存在するようです。
 情報を受ける側の我々は、そのような企みに注意深くあるべきでしょう。

中国:クマの胆汁を採取していた男、クマに食べられる

・BBCNEWSWebsiteの該当記事
BBC放送HPより、ちょっと古いですが、クマに関するちょっと恐ろしいニュース。
クマの胆汁というのは漢方薬の原料だそうです。

吉林省、Shulanで、ある中国人の男性が6匹のクマに食べられたらしい。
A Chinese man has reportedly been killed and eaten by six bears in Shulan, Jilin province.
Han Shigenは捕えたクマを生かしたまま、胆嚢から胆汁を採取し生計を立てていた、と中国の国営新華社通信は報じた。
Han Shigen earned a living by extracting bile from the gall bladders of his captive live bears, according to the Chinese state news agency Xinhua.
彼は月曜日(10/10)の朝、クマの檻を掃除している最中に、クマに攻撃された、というBeijing Newsの記事を新華社通信は引用した。
He was attacked on Monday morning while cleaning the animals' cage, Xinhua said, quoting the Beijing News.
新華社通信によると、クマはあまりにも激怒しており、彼の遺体を檻から回収するために充分な安全を確保するには、2時間も待たなければならなかった。
Xinhua said the animals were so enraged that two hours passed before it was deemed safe enough to remove his body.
脳や脊髄を含む、クマの肉体の多くは伝統的な漢方薬の原料として、長年利用されつづけてきた。
Many parts of the bear, including the brain and spinal cord, have long been used in traditional Chinese medicine.
最も需要が高いのは胆嚢から得る胆汁であり、しばしば同重量の麻薬よりも高価である。( more expensive that the equivalent weight of narcotics.のthatはthanの間違いに思えるがどうだろうか?)
The most coveted part is the bile within the gall bladder, which can often be more expensive that the equivalent weight of narcotics.


 クマの胆汁は1キロあたり1,000ドルでアジア市場で取引されていると、見積もられているそうです。
 胆汁の採取は耐えがたいほどの苦痛を伴うもので、生身のクマの体を切り込み、チューブで胆汁を搾り出すそうです。
 痛そう…。

クマの胆汁は、胃腸に関する様々な病気や心臓に関する病気の医薬品として利用されるだけでなく、ヘアシャンプーからワインに至るまで、全てに利用されている。
The bile is then used for everything from hair shampoo to wine, as well as medicinal treatments for various intestinal and cardiac-related complaints.


 食い殺された方には気の毒ですが…。
 我々の豊かな生活は、様々な生物を利用して成り立っていると言えるでしょう。
 このような残酷な方法で採取した原料を使用した製品は、なるだけ購入したくありませんが、知らず知らずのうちに利用しているかもしれません。

 一方、漢方薬、漢方医学は、自然保護主義者から何かと目の敵にされていますが、化学薬品を多用する西洋医学とは異なるアプローチの治療で、助かっている人も大勢居ると思います。
 インドの医学、アーユル・ベータ(だったかな?)も見直されつつあると聞きます。

 ただし、中国の経済発展に伴い、漢方薬の原料となる生物が受難の時期を迎えているのは、厳然たる事実です。
 乱獲とそれに続く種の絶滅が、数千年の歴史を持つ漢方薬の伝統をも、途絶えさせることは明らかでしょう。
 漢方医、漢方薬の利用者も、対象となる生物の保護に真剣に取り組む必要があるでしょう。
 手遅れとなる前に、多くのユーザーが気付いてくれれば良いのですが…。

2005年9月28日

5mのサメと素手で戦う

・BBCNEWSWebsiteの該当記事
BBC放送HPより、野生動物との格闘記事が続きますが、この記事はオーストラリアから。
男性が体長5mのホオジロザメ(great white)を素手で撃退したそうです。

オーストラリア人の男性が、ホオジロザメと思われる体長5mのサメと素手で格闘し、なんとか撃退することができた。
An Australian man has managed to fight off a five-metre-long (16ft) shark, thought to be a great white, with his bare hands.
26歳のJosh Berrisはサメの攻撃を受けた土曜日、友人達と南オーストラリア、Kangaroo島のビーチの沖合いでサーフィンを楽しんでいた。
Josh Berris, 26, was surfing with friends off a beach on Kangaroo Island in South Australia on Saturday when he was attacked by the shark.
友人達が彼を安全な岩場に引き上げる前に、Berris 氏は攻撃してきたサメを彼の手で押し戻した。
Mr Berris pushed the shark away with his hands before friends dragged him into the safety of rocks.
このサーファーは病院に担ぎ込まれ、切断した脚の手当てを受けた。
The surfer was taken to hospital where he received treatment for cut legs.

「彼はボードにすわり次の波を待っていただけなんだ…、すると突然ホオジロザメが海中から彼に襲い掛かり、彼を叩きのめしたんだ。そして彼のボードを壊し、彼を引きずりまわした。彼はサメから逃れるために、leg rope をはずさなければならなかったんだ(意味不明:かまれた脚を失うということか?)」緊急医療士のDean George は地元ラジオ局にこう語った。
"He was just sitting on the board waiting for the next wave... and it just hit him from underneath and knocked him off, then actually just took his board and was dragging him and he had to pull his leg rope off to actually get away from it," paramedic Dean George told local radio.

「そいつはまた攻撃してきたので、彼は手でサメを押し戻したんだ」George は述べた。
"It came back again so he pushed it away with his hand," Mr George said.


 察するに、サメに襲われた男性はサメの鼻面を手で押し戻したのではないでしょうか?
 オーストラリアでは2日続けて、サメによる襲撃事故が発生したそうです。金曜日にはパースの浜辺で44歳の男性が小型のサメの反復攻撃を生き延びたそうです。

ホオジロザメはオーストラリア水域における、一連のサーファーのサメ被害の加害者だと考えられている。科学者の一部は、サメはサーファーと、彼らの自然の獲物であるアザラシを混同していると考えている。
Great whites have been blamed for a string of attacks on surfers in Australian waters. Some scientist believe they confuse surfers for their natural prey, seals.

 ホオジロザメはつまり映画『ジョーズ』のサメですね。
 ホオジロザメは捕食者として高度に進化した体をもち、変温動物である軟骨魚類であるにも拘わらず、周辺の水温よりも高く体温を保つ器官(奇網)を持ち、高い水中運動能力を獲得しています。
 また電場を感じるロレンチニ瓶という器官を持ち、獲物の探索に用いているようです。
 この性質を利用したサメ忌避装置も開発されているそうです。
 嗅覚も良く、視力もよく、まさに水中の捕食者の究極の姿とも言えるホオジロザメですが、科学者は絶滅の危機に瀕していると主張しており、オーストラリアでも保護対象種に指定されているそうです。
 (BBC放送のホオジロザメのページはこちら)
 海中に潜むホオジロザメは海面に浮かぶ獲物のシルエットに対し、海中から凄まじい奇襲を加えるそうです。
 ボードに腹ばいとなったサーファーとアザラシのシルエットは酷似しており、サーファーがサメに襲われる原因と考えられています。
 自然の中では時として人間も獲物となります。充分に注意したほうが良いでしょう。

2005年9月24日

なぜどの風邪薬にも免疫抑制剤が入ってるの?!

 私は医者でもなければ、薬剤師でもない。
 だからこう言うことを書いてはならないのかもしれない。
 しかし、薬を飲む側としては、この事態には疑問を呈したい。
 「なぜ、どの風邪薬にも免疫抑制剤が入ってるの?」
 風邪薬だけでなく目薬にも入っている。
 お医者さんから処方される薬にも入っている。
 何故?

 何故このようなことを書くかというと、私はアトピー治療のため、医者から免疫抑制剤の服用や塗布を厳禁されているからだ。
 免疫抑制剤を服用しないということは、市販の風邪薬、目薬のほとんどを使用できないということを意味する。
 つまり、風邪薬は「葛根湯」、目薬は「涙ロート」以外には使用できないということだ。
 もちろん、アトピー治療の医者に頼めば、風邪薬も目薬も手に入る。
 しかし、急場を凌ぐためには、市販の薬も利用しなければならない。
 目ばちこ(めんぼ、ものもらい?)に罹ったとき、薬局に行って目薬を探した。
 「免疫抑制剤が入っていない目薬が欲しい」と言ったところ、「これしかありません」と言われて出て来たのが「涙ロート」である。「涙ロート」は涙の成分しか入っていない。

 何故私がこれほどまでに免疫抑制剤に過敏になるかと言うと、過去の苦い経験があるからだ。
 私のアトピーの症状は気管支喘息と皮膚炎からなる。
 皮膚炎に関しては、私は一般の人が想像も出来ないほどのつらい体験をした。
 どのような体験かというと…(食事中の人は読まないで下さい)
 皮膚が全く再生しないというものだ。
 アトピー性皮膚炎の患者はたまらない"かゆみ"に襲われることしばしばであろう。
 かゆいので掻くと傷ができる。知らないうちにこの傷は大きくなる。例を挙げると、腿の外周の半分、長さ方向の2/3を占めるほど、傷が広がる。
 しかし、皮膚は再生しない。
 "かさぶた"は出来るのだが、耐えがたいかゆみに襲われ、その"かさぶた"を指で強くこすっただけで、膿と凝固した血液からなる"かさぶた"は容易にはがれ、その下から"フレッシュ"な皮膚が出現するのである。
 このような治らない傷が体中にできる。
 ひどいかゆみを何日も我慢して、"かさぶた"を壊さないように努力するのだが、どれだけ我慢しても、皮膚は再生しない。

 私はこのひどい症状に、何度も苦しめられた。
 最初にこの症状が出たのは就職活動中である。
 「このような体でどこの企業が採用してくれるだろう」その当時の私は不安にさいなまれた。
 社会人となってからも、私はこの症状に苦しんだ。
 傷にカット綿を当て、包帯で巻く。そうしないとスーツを着る事ができない。
 そこまでしても、一日の仕事を終えて帰宅すると、膿がカット綿にも包帯にも染みわたり、スーツにもしみを作ってしまう。
 幸いなことに客先で打ち合わせするとき以外は、スーツを着る必要が無い技術職だったため、できる限りスーツは着なかったのだが、普通のズボンでも膿が染みてくると嫌になる。
 "かさぶた"が破れ、膿が広がる感覚は気分を滅入らせる。
 幸いなことに上記の先生にかかってから皮膚の悩みは解消したが、未だに気管支喘息は尾を引いている。
 良かったことといえば包帯の巻き方が上手くなったことぐらいである。
 
 こんな経験をした人なら、子供には同じ思いをさせたくない、と思うだろう。
 しかし、私の子供もアトピーなのである。
 そして私と同じアトピーの先生にかかっている。
 子供なのでよく風邪を引く。風邪を引くと喘息を併発しがちなので、近所の医者に連れて行く。
 しかし、医者から処方される風邪薬には100%免疫抑制剤が入っているのである。
 
 説明責任の思想の浸透からか、薬事法が改正されたからなのかは知らないが、薬局で薬を貰うと、薬の使用法、名称、特徴、注意事項などを記した簡単な説明書を貰うようになった。
 その説明書を見ると、風邪薬には"抗アレルギー剤"などの表記が見られる。
 しかし私は念のため、"抗アレルギー剤"と記されていない薬についても、インターネットで調べることにしている(ここ)

 近所の医者に事情を説明したのだが、全く聞いてくれなかった。
 小児科は薬を沢山処方しないと採算が合わないらしい、と根拠のない噂を聞いた。
 困っていたところ、偶然知り合ったお医者さんが良心的で、患者の話を聞いてくれる先生だったので、事情を説明したのだが、やはり「早く風邪を治したほうがいい」と言うことで、"抗アレルギー剤"入りの風邪薬を処方されてしまう。
 お医者さんの判断は医学的には正しいのだろうが、免疫抑制剤の入った薬を子供に服用させることには、ものすごく抵抗がある。
 
 風邪は免疫抑制剤を使わないと治らないの?
 風邪はアレルギーの症状なの?
 風邪を治すには逆に免疫を高める必要があるんじゃないの?
 医学には素人である私の素直な疑問である。

 素人の勝手な詮索をすると、恐らく理由はこうだろう。
・免疫抑制剤を配合しておくと、アレルギー性の鼻炎などがあっという間に治る。
・お医者さんとしては「あそこの医者にかかってもなかなか治らない」という評判を立てられることは避けたいので、免疫抑制剤の危険性を認識しつつも、投与してしまう。
・患者も早く治ったほうが良い。

 本当にこのままでいいのだろうか?ひどい目に会った私の素直な疑問である。 

2005年9月14日

カタカナ外来語の氾濫

タイトルのリンクは"英辞郎"、パソコンで動く英和・和英辞典のページ。

 言葉、つまり文章の難しさとは聞き手、読み手にこちらの意図を過不足無く、正確に伝えるところにあるだろう。
 つまり、職業的、教育的、文化的背景が異なる他人に、自分の意思や主張が正確に、誤解されないように伝わるように、意識する必要があるということだ。
 このときに、使用する"言葉""単語"には"読み手と共通の認識がある"という暗黙の前提が存在するだろう。
 辞書は学術的に"言葉"の意味をまとめたものという見方の他に、ある言語体系における"言葉"に対する最大多数の共通認識をまとめたもの、と言う見方もできるだろう。
 "言葉"は時代と共に変化する。それはその言語を使用する集団の、その"言葉"に対する共通認識が変化していくことの現れであろう。

 冒頭に相手に意を伝えるための文章の難しさを記したが、最近、巷間には読みにくい文章が溢れかえっている。
 他人をけなすのは私が最も嫌悪することだが、最近、目にする文章の読みにくさ、理解のしにくさには少し辟易気味だ。文化・教育レベルの低下か?!と危惧したくなるほどだ。

 文章が読みにくくなった原因の一つとして、"カタカナ外来語"の氾濫が挙げられるだろう。
 例を挙げると…、
・航空インシデント(incident)
・コンプライアンス(compliance)
・ビジネス・エシックス(business ethics)
・シナジー(synergy)効果
・ディスクロージャー(disclosure) 等々。
 日本語の便利なところは外来語をカタカナ表記して使える点にある。
 しかし、上記の言葉、わざわざ外来語をカタカナ表記して使う必要があるだろうか?
 例にあげた言葉はいずれも官公庁、企業が公にした文章からの引用である。
 上に取り上げた全ての"カタカナ外来語"には、すでに立派な日本語が存在している。
 どのような意図で、わざわざ"カタカナ外来語"を使用したのであろう?
 勝手に推測すると…、
1)日本語の既存単語の意味とは若干異なる意味を表現したい。
2)カッコ良いから。頭良さそうに見えるから。
3)普段使っているので、読み手にも通じるだろうから。
4)本当は読み手に理解して欲しくないから。
 といったところか?
 恐らく3)が正解だろう。私も時々、このミスを犯す。
 1)もあるかもしれないが、読み手に判るように文章中に明示するべきだろう。
 
 現在、"カタカナ外来語"がどんどん増殖しており、まさに"氾濫"という表現がぴったりだろう。
 しかし、増殖し続ける"カタカナ外来語"、全ての読み手が理解できるだろうか?
 業界や学問などの限られた分野では"カタカナ外来語"を使用したほうが効率的かもしれない。
 しかし、誰が読むかわからない公開文章に使用するのは如何なものであろうか?

 "カタカナ外来語"氾濫の原因は恐らく以下の2点だろう。
a)IT産業の急速な発展と広がり
b)経済・産業のグローバル化
 a)に挙げたIT産業はまさしく"カタカナ外来語"やアクロニム(acronym:頭文字を並べた略語)が氾濫している業界といえる。
 門外漢にとってはIT業界の文章はまさに”異国の言葉”だろう。
 しかし、IT業界は進歩があまりにも急速であり、次々に海外から新しいものが入ってくるので、一つ一つ日本語にしている余裕はないのであろう。

 IT業界のみならず、日本中に"カタカナ外来語"を氾濫させている要因は恐らく、b)だろう。
 私はなにも、"グローバル化が悪い"というつもりはない。
 "グローバル化"は世界の流れであり、追随していかねばならないのだろうが、弊害も多く、何もかも"グローバル化"する必要はないと思う。

 現在の日本語は漢字とかなを適宜使用した、読みやすい言語だと思う。
 表意文字である漢字を利用した文章は見ただけで意味が伝わり、便利だと思う。
 一部の人にしか通じない"シナジー効果"よりも"相乗効果"の方がわかりやすいだろう。
 以下によく使われる格言を記しておこう。
『有能な人は難しいことを簡単に判りやすく説明するが、そうでない人は簡単なことを難しく表現する』
 私も"有能な人"の文章が書けるように意識することにしよう。